歴史

渋谷再開発協会の歴史

目次

      1. 渋谷再開発促進協議会の設立
      2. 渋谷再開発計画’66
      3. 渋谷再開発促進協議会の活動
      4. 渋谷再開発計画‘70
      5. リング道路整備の陳情
      6. 渋谷再開発協会に名称変更
      7. 渋谷駅周辺整備計画(1974年)
      8. 流動計測調査
      9. NPO渋谷まちづくり協議会
      10. 一般社団法人化
1. 渋谷再開発促進協議会の設立

渋谷再開発協会の前身である渋谷再開発促進協議会は、昭和39年(1964年)に設立された。
記録を見ると、7月~8月頃東京オリンピック渋谷協力会の席で、「新宿には淀橋浄水場跡地の計画(西口超高層ビル)、池袋には東京拘置所跡地の計画(サンシャイン60)があるが渋谷には何もない。渋谷もきちんと計画を作らなければ副都心どころか副々都心にも負けてしまうという声が上がり設立に至ったようである。
設立総会は12月22日に渋谷松竹ビル3階の西友食堂ブローニュで行われた。司会は佐野長政氏(渋谷区役所通商友会長)、開会の辞を谷崎磯助氏(道玄坂商店街振興組合理事長)、発起人代表挨拶を宇田川常四郎氏(宮益町会代表)がした後、本会設立を必要とした理由および本日までの準備過程を並木貞人氏(渋谷地下商店会共同組合理事長)が説明、規約・事業方針・予算を承認したあと役員を選出(後述)、坂入信義氏(渋谷駅前商店会長)より閉会の辞を頂き終了した。
設立総会には、東工大教授清家清氏や坂倉準三氏も出席され、両氏はじめ、磯村英一都立大学教授、山口辰男横浜市大教授らの学識経験者には、何らかの形でご指導願いたく考えている旨が発表された。

渋谷再開発促進協議会役員(敬称略)名誉会長 石坂泰三(経団連会長)、前田義徳(日本放送協会会長)
会長 迫水久常(渋谷サービス社長)副会長 岡本政七(道玄坂町会長)、宇田川常四郎(宮益町会長)
法人団体関係より1名 理事長 五島昇(東京急行電鉄社長) 常任理事 堤清二(西武百貨店店長)、井上正忠(京王帝都電鉄専務)
渡辺義人(帝都高速度交通営団理事)、馬淵寅雄(東京急行電鉄常務)、山本宗二(東横副社長)、植村利春(宇田川町会長)
橋本次郎(桜ヶ丘町会長)、谷崎磯助(渋谷道玄坂振興組合理事長)、坂入信義(渋谷駅前商店会長)
佐野長政(渋谷区役所通商友会長)、並木貞人(渋谷地下商店会競合組合理事長)、日本放送協会1名
監事 森下政(銀行協会幹事銀行-都民銀行渋谷支店長)、小原基邦(北谷町会顧問)

2. 渋谷再開発計画’66

前回は渋谷再開発促進協議会の設立について記載した。
今回は設立翌年の昭和40年から開発ビジョン研究会を10数回開催し検討した「渋谷再開発計画‘66」について話をする。
この計画は同研究会が「渋谷再開発計画立案グループ」(代表坂倉準三氏)に委託したものである。
ここでは、渋谷の現状を以下のように分析、
(1)人の湧き出し口が集中している。
(2)渋谷はナベ底である。
(3)各施設が中心に集まりすぎている。
(4)滞在時間はわずか平均4分と少ない。
(5)道路はすべて放射状で、環状道路がない。
(6)山手線で東西が二分されている。
これを解決するために、基本となるべき以下の6項目を定めた。
(1)新しい魅力的な点をつくる。(500m、7分程度の場所に)
(2)点と点を結ぶ。(人の流れをつくる)
(3)線を輪にする。(ぐるぐる街中を回ってもらう)
(4)第三の道・・アルケードをつくる。(2階をつなげて通路に)
(5)シャフトをつくる。(1階と地下、アルケードの三層をつなぐ)
(6)盛り場とオリンピック施設との調和。(異質な二者を調和させる施設がいる)
そして、新宿、池袋を結ぶ地下鉄の新設と渋谷環状線(道路)2本の新設、拠点となる4ヶ所の具体的なイメージを示した。
渋谷再開発計画‘66は50年以上前のものですが、渋谷の現状の分析は今もそのまま当てはる。
解決するための基本6項目のいくつかは今まさに実現しようとしていること。新宿・池袋を結ぶ地下鉄の新設は副都心線としてようやく実現したが、渋谷の環状道路は未だ出来ていない。
渋谷再開発協会は50年前の先人の慧眼に敬意を表するとともに、今なお残っている課題に対処していきたい。

3. 渋谷再開発促進協議会の活動

第1回は、渋谷再開発促進協議会の設立時の話、第2回は渋谷再開発計画‘66の話をした。今回は、1964年~1972年までの渋谷再開発促進協議会時代の活動の話をする。
1965年度の事業計画には、
①渋谷のあり方を研究分析する基本図形の制作
②関係行政面との折衝
③街ぐるみ明るい美化運動の実践
④街ぐるみサービス協調運動の実践
⑤多彩な商業祭と行事の合同企画と広報活動、とある。
①は開発ビジョン研究会で「渋谷再開発計画‘66作成、③④⑤は商工経済研究会で取組んだ。
特に渋谷商業祭については、当協議会が先鞭をつけ、区役所、区商連(中央ブロック)、商店街、町会、観光協会と共同主催で行うとの記述がある。渋谷商業祭は渋谷まつりという名前となり、第1回は1966年11月3日~6日に開催された。②については、行政対策事業として三副都心連絡協議会に参加、山手貨物線の旅客線転用促進請願などをしたり、渋谷区・渋谷区議会との渋谷再開発懇談会の開催、東商首都委員会主催の渋谷再開発懇談会への参加などをしている。

渋谷まつり「わんわんカーニバル」(実施結果報告書より)
目的 オリンピック記念施設と忠犬ハチ公のいる街、より親しまれる街、渋谷の観光業と商工業の振興に資する。
主催 渋谷区・渋谷区観光協会・渋谷再開発促進協議会 後援 東京商工会議所・東京都市開発促進会・JKC本部・東京都商店街連合会・渋谷区商店会連合会・忠犬ハチ公銅像維持会★わんわんカーニバル大パレード 渋谷の繁華街をほとんど網羅 観客数6万人(渋谷警察発表)★わんわんコーナー 都内有力犬業者12店の展示即売、獣医による健康相談、飼育指導★ここ掘れわんわん市(夜店)地元商店18軒によるワゴン(花車)谷幹一、古今亭志ん朝、関敬六、ジュディオングによるあゆみの箱募金サイン会。(3日間で三万二千人動員)★写真コンテスト★川柳文化祭★星と音楽の夕べ★わんわんカーニバル歌謡大行進(ビクター協賛)久保浩、田代美代子、森進一、珊瑚一、ノリロー・トリロー、晴乃ピーチク・パーチク ★民謡芸能大会★わんわん映画会★全日本チャンピオンドッグショー(JKC主催800匹参加、一万五千人動員) ★わんわんパレード(200匹が音楽隊を先頭にハチ公前に行進。2万人動員) 第2回は1967年11月1日~7日に行われ、暖かい晴天に恵まれ、チャーミング渋谷大パレードの人出は約20万人(推定)となった。
この年のジャズコンサートには渡辺貞夫(司会 大橋巨泉)歌謡ショーにはバーブ佐竹、坂本九(司会 ジェリー藤尾)が出演している。また渡辺プロの協力によるヤングメンフェストにはワイルド・ワンズ、ザ・タイガースらが出演している。その後渋谷まつりは第5回まで記録に残っている。

4. 渋谷再開発計画‘70

その後、再開発促進協議会は昭和46年(1971年)10月15日に渋谷駅を中心とした半径1kmの地域で昭和60年(1985年)を目標に五千億円の巨費を投じて3期計画で大改造し、「新都心」として再開発しようという『渋谷再開発計画’70』を発表し大きな反響を呼んだ。
これは、すり鉢状の地形の中心部にある渋谷駅をすっぽり覆う重層化した人工地盤を作り、中央に超高層のビル、交通広場、プラットホーム、ヘリポートなどの交通チャンネルを調整し、デパート・ショッピングストアの商業チャンネル、ビジネスホテル・オフィスの産業チャンネル、各種教育・集会チャンネルを有機的に結びつけた情報都市空間をつくる。

また、重層化した人工地盤を車道・人道に分け、デパート、オフィス、駅を空中遊歩道でつなぐ。そして半径1kmに商業、オフィス、文化娯楽の6拠点を開発、それぞれの機能を結合し、周辺を緑の公園とセットにしたショッピング街とするというものだった。
この計画は民間主導で実施に移されることになり、まず基盤となる地下街と地下駐車場の建設を予定した。資金は日本開発銀行等の融資のめどを付けることになり、そのため渋谷再開発促進協議会は、任意団体から公益法人(社団法人)とするため、昭和47年(1972年)5月31日、渋谷再開発協会と名称変更し、この渋谷大改造の実現を協力に推進することとした。

5. リング道路整備の陳情

渋谷再開発協会は、いままで本コラムで触れた渋谷駅周辺の再開発計画の策定や、渋谷まつり等の活動の他に、会員の意見を取りまとめた陳情書・要望書の提出を行っていた。
内容は「渋谷駅前派出所の早期建替え」「東急本店通りの歩道の早期拡幅」「渋谷駅周辺の環境美化」「井の頭線および旧玉川線渋谷駅周辺の改善対策」等があるが、最も多く出しているのが、「円山本通りとその延長の補助53号に至る道路ならびに補助60号の早期拡幅・新設に関する陳情」で、昭和49年から昭和63年まで5回渋谷区長宛てに提出している。補助60号は東急本店から環状6号線までの道で平成25年に拡幅済である。円山本通りは、ランブリングストリートとその後呼ばれるようになった通り、「その延長の補助53号に至る道路」とは、今年竣工したアベマタワーズに近い、井の頭通りの東急ハンズ角から東急百貨店本店裏に至る部分で、渋谷再開発協会が渋谷再開発計画‘70で提案したリング道路の一部で、かつ渋谷区が昭和48年3月に発表した長期基本計画で渋谷環状1号線を構成する部分だ。
昭和49年11月の陳情書には、「これにより歩行者の安全確保と車両の円滑な通行になり、渋谷の発展に寄与する」との記述が見られる。

6. 渋谷再開発協会に名称変更

昭和47年(1972年)5月31日、万葉会館で行なわれた渋谷再開発促進協議会の総会で「渋谷再開発促進協議会の名称変更について」議決が行なわれ、新名称を「社団法人 渋谷再開発協会」とすることが決議された。議案にある社団法人渋谷再開発協会趣意書には、
「渋谷再開発促進協議会は、昭和39年12月発足以来約8年間にわたり渋谷駅周辺地域の法人団体、商店街、町会等63団体が中心となり、渋谷を有機的な近代的商業副都心とすべく“渋谷再開発’66”につづいて“渋谷再開発’70”を発表し、1970年代を目指す長期構想をうちだしその実現に努めてまいりましたが、当渋谷の再開発は渋谷地区住民はもとより東京都全体、さらには国の問題であり、全ての人々がその実現を待ちのぞんでいるところである。
渋谷は首都圏整備計画により指定された新宿・池袋等の副都心のなかでは最も開発の遅れた地域であるが、これは渋谷のもつ地形的特性、つまり渋谷の中心部がスリバチ状の最低部に位置し、そこに幹線道路ならびに国鉄をはじめ多くの私鉄が集中していると同時にその中心部を渋谷川が流れ、狭い地形をさらに分断していることに原因があります。それともう一つ開発が遅れている理由として渋谷の機能集積度が低く再開発の気運が盛りあがらなかったことにある。
一方外部的な原因としては、国または地方公共団体の強力な施策を仰がなければならない事実が判明したことである。
そこで、これらの事態に対処し今後の協議会の運営にあたり当地区の都市再開発をより強力に推進するため、協議会を現在の任意団体から公益性の強い独立法人に発展させることにより新宿・池袋にも劣らない近代的副都心とすることを決議し、ここに社団法人渋谷再開発協会を設立する運びとなった。
本協会は、今後とも国、地方公共団体、渋谷区を始め広く学識経験者等のご支援を賜わり、種々の事業を推進する必要があります。」
とある。渋谷再開発促進協議会が設立されてから2020年で56年、再開発協会に名称変更されてからは48年になります。なお、社団法人化は当時の東京都の要件が非常に厳しく、中心地区の再開発も地下街への規制強化の為に動かなく成ったため、渋谷再開発協会は任意団体のままとなっている。

7. 渋谷駅周辺整備計画(1974年)

昭和47年(1972年)5月に渋谷再開発促進協議会は渋谷再開発協会に名称を変更した。この年、渋谷駅付近の基本計画の設計案の作成を財団法人都市計画協会に委託、再開発協会内には都市計画専門委員会を組成し、都市計画協会は渋谷駅周辺整備計画委員会(委員長松井達夫早稲田大学教授)を作り、昭和49年(1974年)7月に報告書を完成させた。
この案では、①東横線は国道246号の南側に駅を移設。山手線のホームの幅を広くして1面2線とする。②2階は渋谷駅東側・西側それぞれペデストリアンデッキで周辺の街区を結ぶ。③1階は東側西側とも街区の北から南まで大きく駅前広場を取り、東西の自由通路を北・中央・南の3ヶ所とする。国道246号の南側にも山手線の改札口・コンコースを作る。④地下1階は東西とも駅前広場の下は店舗とし、東側には地下広場とタクシー乗降場を設け、新東急文化会館と接続する。西側は車庫跡地新ビル(マークシティ)、東急プラザと接続、国道246号も地下で横断できるようにする。⑤地下2階は井の頭線・地下鉄銀座線・新玉川線の改札口と店舗・駐車場。⑥地下3階は井の頭線・地下鉄銀座線・新玉川線のホームと地下鉄13号線への通路、駐車場。渋谷川は地下4階でサイフォンに流す。
都市計画協会でこの計画を策定している中、昭和48年(1973年)7月に4省次官通達「地下街の取り扱いについて」が出され、この計画のままでの事業化が困難となった。報告書では「望むらくは都市計画協会と近く設立が予想される事業実施主体との協力によって、本報告書の意図する事業が一日も早く着手の運びにならんことを。」と結んでいるが、駅周辺開発の第一ステージの完成は2019年。そこまで45年かかったことになる。

8. 流動計測調査

渋谷再開発協会の流動計測調査が現在の形になったのは43年前の1978年からで、基本は4年に1回、10月の日曜日と月曜日の10時~21時まで調査している。鉄道の開業などの影響を把握するために間に調査をすることもあるので、昨年の10月の調査で14回目となるが、実はその前にも調査を行っている。
最初の調査は、昭和43年(1968年)で、第20回常任理事会の議事録によると、「通行量(歩行者)実態調査実施について」商工振興部、「昨年11月の等東急百貨店開店により、人の流れが著しく変動し、また今年4月には西武百貨店開店の運びになる状況から、これらに対する人の流れの変動があるものと推定されるので、今後の商業地域の動向を明らかにするため」との記述がある。調査は街路は各商店会・町会の自主測定と事務局が手配したアルバイト72名、特定ビルの出入口は当該ビルによる自主測定で行われた。
この結果は「渋谷駅周辺地区における人口流動について」報告書 第1号としてまとめられた。その冊子によると、渋谷駅周辺の44地点において、今の調査より1時間短い10時から20時までの歩行者流動を計測している。渋谷駅から遠ざかる方向を「下り」、渋谷駅に近づく方向を「上り」としているのは今と逆で、購買能力の調査のために対象を中学生以上にしているのは今と同じである。
センター街入口の5月の数字でみてみると、平日街方向24,957人、駅方向12,531人、
休日街方向26,785人、駅方向21,652人と2019年調査の42,146人、29,126人、44,698人、
33,020人と比べると、2019年の59%、58%、64%、66%となっている。逆に言うと、約50年前と比べると2019年の歩行者の流動は1.5~1.7倍で、今、コロナ渦のもと50年前の水準に戻ったとも言える。
調査では渋谷区が昭和40年(1965年)に行った調査との比較もしている。栄通り(文化村通り)では東急デパート本店の開店により、168~290%の通行量になったことが解る。
渋谷再開発協会は次回2024年の調査はAIカメラや位置情報を活用して、365日、24時間のデータを元に報告書を作成する形式の変えることを検討している。渋谷未来デザインのデータコンソーシアムにも参加させて頂き検討を始めた所であるが、昔からのデータ活用の流れを切ることなく、繋げていきたいと考えている。

9. NPO法人渋谷駅周辺まちづくり協議会

渋谷再開発協会の双子のような組織がかつてあった。それが2004年に設立されたNPO法人渋谷駅周辺まちづくり協議会で、渋谷再開発協会の事務所に同居し、会長も同じ、会員もかなり被っていた。
設立趣旨には「渋谷駅周辺地区では、2003 年に東急文化会館が閉館し、今後、2007 年度には地下鉄 13 号線の開業、2012 年度には東急東横線渋谷駅の地下化などが予定されており、大きく変貌する時期を迎えている。 このような時期において、当協議会は、渋谷が抱える、鉄道、道路などにより街が分断されている複雑な都市構造や、景観、安全性、快適性といった渋谷駅周辺地区が抱える諸問題を克服し、渋谷の魅力を高め、より「住みたい街」「働きたい街」「楽しみたい街」とするべく、人が主役の、文化と変化を感じる安全で安心できるまちづくりを目指すことを目的に設立。住民、行政、地域団体、企業等が協働し、公平、公正な地域の視点で、渋谷のまちづくり推進に貢献する。」と書かれていて、今第一段階をようやく終えた渋谷の再開発が始まるにあたって、「人が主役」のまちづくりをしようという意気込みが伝わってくる。
スローガンは「co-action(コ・アクション)」(協働の意)で、地域の住民、行政、地域団体、企業等が協働して、「人が主役の まち・渋谷」を目指す、という当協議会の姿勢を表していた。
主な活動内容は ①渋谷駅周辺地区の将来像に関する調査・研究・提言 ②セミナー、ホームページ等によるまちづくりの普及啓発 ③まちづくり活動を行う地域団体との連携による情報ネットワーク構築 ④美化活動、防犯・防災活動等、地域活動の支援で、アドバイザーである安藤忠雄氏の講演会や渋谷音楽祭の開催、「外国人観光客に関する調査」「渋谷ライブエンターテイメント実態調査」「エリアマネジメントに関する調査研究」などの調査、『東京都地域防災計画(素案)』に関する意見書の東京都への提出、「渋谷駅周辺地区帰宅困難者対策推進研究会」の開催、都市計画変更の説明会・意見交換会の開催、渋谷駅前での花植えや児童絵画の掲出等を行っていた。NPO法人渋谷駅周辺まちづくり協議会はその後、2016年の第11回渋谷音楽祭の開催を最後に渋谷音楽祭を渋谷観光協会に移管し、2016年12月14日の臨時総会の決議により解散した。

10. 一般社団法人化

渋谷再開発協会は、前身の渋谷再開発促進協議会の設立総会のあった12月22日に合せて一般社団法人の登記申請を行ない、任意団体から一般社団法人になった。渋谷再開発促進協議会の設立が1964年なので、そこから57年後である。その間、1972年に渋谷再開発協会へ名称変更し社団法人化を試みるが当時の東京都の要件が非常に厳しくて断念したり、新しくNPO法が出来たため、並行してNPO法人渋谷駅周辺まちづくり協議会を2004年に設立して再開発協会の事務所で再開発協会と同様の活動を行なったりしていたが、渋谷再開発協会自身は任意団体のままであった。(NPO法人は2016年に解散)その後、一般社団法人法が出来て多くの団体が一般社団法人として設立される中、渋谷再開発協会も活動の幅が広がるのに対応して、いよいよ一般社団法人へ改組することとなった。
ここで、改めてそれぞれの団体の定款の目的を整理すると、
任意団体渋谷再開発協会
渋谷の都市再開発を促進し、地域の合理的高度利用、環境の整備改善に資し、もって都市機能を維持増進することにより、経済の振興と公共の福祉に寄与する。
NPO法人渋谷駅周辺まちづくり協議会
渋谷の魅力を高め、より「住みたい街」「働きたい街」「楽しみたい街」とするべく、人が主役の、文化と変化を感じる安全で安心できるまちづくりを目指す
(一社)渋谷再開発協会
渋谷の都市再生の促進や、人の活動のための場つくりを通して、職・住・遊における高い暮らしの質を実現し、サスティナブルな歩いて楽しいまちづくりを行う。
定款の目的は変わりましたが、(一社)渋谷再開発協会は、「経済の振興と公共の福祉に寄与」という、任意団体渋谷再開発協会の目的、「人が主役の、文化と変化を感じる安全で安心できるまちづくりを目指す」というNPO法人渋谷駅周辺まちづくり協議会の目的を忘れずに、(一社)の目的に向かって進む所存です。最後に、渋谷再開発促進協議会設立総会で配布された冊子「みんなで渋谷を見直そう」よりこの言葉を頂きます。「世紀の祭典オリンピックは、渋谷を中心に華やかにくりひろげられ、盛会の中に無事その幕が閉じられました(中略)。このまま、渋谷を放置しておくと、よそに水をあけられるばかりでなく、渋谷自体が取り残された魅力のない場末になってしまいます。渋谷に住み、生活していることを誇り、そして渋谷のより大きな発展を望むには、皆様方の深いご理解とご協力の下に強力な結束がなされなければなりません。ここに、新しい渋谷の街づくりのため、皆様の絶大なご支援をひとえにお願い申し上げる次第です。」(コラム渋谷再開発協会の歴史おわり)